努力できる人は努力したくてもできない人の気持ちがわからない

絵が描けないのがコンプレックス。

何度も諦めたはずなのに、それでもまだ未練がある。

自分をもう一度見つめ直してみよう。

 

模写ができない。

模写どころかトレスすら苦痛に感じるレベル。

マトモに絵を描こうとすると、情報量の多さに頭がパンクする。

あなたに絵は向いてない、と何度か言われた。

実際そうだと思う。

 

絵を描く才能が欲しいなんて言わない。

ただ、絵を描くのが楽しいと思える才能が欲しかった。

でも、よくよく思い返せば子どもの頃は結構楽しく描いていたと思う。

今は無駄に目が肥えてしまって、理想と現実のギャップに苦しむ他ない。

なんて下手糞なんだと。

見るに堪えないのだ。

無邪気に描き続けていた子どもの頃に戻りたい。

 

描くのが純粋に楽しい人にとっては、「別に楽しくはないけど描き続けたら上手くなった」なんて言われたらムカつくだろう。

だが私は上手くなりたい。

私の求めるレベルはソシャゲで高レアリティの絵を担当できる絵師のそれじゃない。

絵を描かない一般的な人から見て「上手いね」という言葉が普通に出てくるような、そのくらいのレベルなのだ。

 

じゃあ、何故それだけ描けるようになれば満足なのだろう?

それは、上達したい理由がちやほやされたいからではないからだ。

自己表現したいのもあるが、それも少し違う。

何かしらマイナー作品やキャラ、カップリングにハマった時、それを布教したいからだ。

そしてそれらが好きな人に二次創作の供給をして喜んでもらいたいからだ。

あるいは、自分の「好き」を強くアピールしたいからだ。

言葉は無力であり、にわかファンの上手い落書きに敗北することを知っているからだ。

別に「片利奈さん神!!」と崇められたいわけではない。

そんなのはどうだっていいのだ。

 

この切実な思いを「承認欲求」の一言で済まされた日には、腸が煮えくり返った。

「好き」は確かに認められたいが、喜んでもらいたいことについては明らかに違う。

33の奉仕の精神に値するのだろうか。

文章はある程度書けようが軽視される運命にある。

絵はある程度描ければ必ず喜ばれる。

皆、好きなものの上手い絵を求めているのだ。

 

さらにツイッターはシステム上、どうしても絵描きがカースト上位に入る。

小説でバズるのはほんの一握り。

そもそも読んですらもらえない。

そんな世界だ。

 

……もしかしたら、自分は感謝されたいのかもしれない。

でも、ただ感謝されるだけなら占いをやればいくらでも貰える。

やはり、自分がマイナー作品等にハマった時、二次創作がないのは寂しいから。

与えると言ったらただの傲慢だが、供給する立場になれたら幸せだろうと思う。

 

そして布教。

よく推しプレゼンと言うが、そんな感じで興味を持ってもらいたいのである。

 

……。

……本当に愛するのは文章なのに、何故無力なのだろう。